真言宗豊山派 歴史
弘法大師によって開かれた真言宗は、 東寺 や 高野山 を中心に広められます。
その後、平安の末期に 興教大師覚鑁上人 によってさらに新しい力が吹き込まれると、紀州に 根来寺 が創建されました。
鎌倉時代になり、 頼瑜僧正 によって新義真言の教えが成立しました。宗団は根来寺を中心に栄えましたが、戦国時代の戦渦により、 専誉僧正 をはじめ多くの僧侶が根来寺を離れることになりました。
その後、豊臣秀長公によって奈良の 長谷寺 に招かれた専誉僧正は豊山派をおこし、長谷寺は学山として栄えました。豊山派の派名は長谷寺の山号「 豊山 」に由来します。
江戸時代、五代将軍 徳川綱吉 公の生母である 桂昌院 が音羽(現文京区)に護国寺を建立し、豊山派の江戸の拠点として末寺を増やしました。
現在は、全国に3,000カ寺、僧侶数5,000人、檀信徒数200万人をほこる、真言宗有数の宗団となっています。